コラム

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青 島

青島には、淡島、歯朶の浮島、鴨就島という呼び名がある。いずれも古い伝承の痕跡を残している。そこに古代海人族の霊魂観が読み取れる。青島は、本来は死者の島だったのかもしれない。元宮からは割れた弥生式土器が多数出土している。天の平瓮(ひらか)神事として磐堺(いわさか)に素焼の皿や真貝を投げ入れ、開運厄払を占ったとされる。割れた皿や貝は死者の形代(かたしろ)ではなかったか。壊された土偶同様に、死体から豊穣をもたらす祈願神事でもあった。割ることで現世から来世へと送り出したのである。その通路を青の世界と命名し、青島がつくられていった。

陽を受ける大きな枇榔樹の葉

鵜 戸

鵜戸という地名は、岩窟を指す「ウロ(虚)」からきているが、海鵜の棲息地にもなっており、鵜処という字もあててみたくなる。誕生も死も蛇神の助けなくしては困難と考えられていた。人の誕生に産湯を、死に湯灌を使い、満潮で生まれ、引き潮に曳かれて死ぬといわれる。生死に水や海が深く関わるのは、蛇神が水神、海神だったからである。産着や死装束につける三角形も蛇の象徴であった。波に洗われる洞窟の入り口は女陰であり、洞窟内は命を宿す子宮であり、吾平山は身籠もった妊婦の姿ととらえることができる。だからこそ、この鵜戸は「ウロ」であり、安産、育児の聖地となった。聖はつねに性とともに出現していたのである。

聖と性をつなぐ鵜戸神宮の洞穴の中から見える鳥居と海

耳 川

神武天皇を遡ってもミのつく神が多い。このミは単なる尊称では収まらない。ミミと発する一族がかつてこの地にいたのではないか。谷川健一はこの地名を海人族の痕跡とみた。鎌田東二は耳の語源を「身のなかの身」、生命を生み出す「実実」であり、「霊霊(みみ)」であったとする。「耳は神の出入りする通路であり、人体の中の人体、『身身』であった」(『身体の宇宙誌』)人は自然界の音に耳を澄ませてきた。雷は「神鳴り」であり、神々の発生はまず「発声」であった。音に神の存在を聞き分けようとしている。神と人との関係が「語りー聴く」ことであったとすれば、耳族が耳を誇示したのも理解できる。

二つの岩にしめ縄が張ってある

地名の謎

宮崎という地名の由来は諸説あり、正解はない。ただ、その多くが地理的要因を語源としており、その語がはらむ意味については語られていない。宮が、神をまつり、死者を弔う場所であることが重要である。生活空間から離れた野原や谷間の先端部も風葬、鳥葬の地であった。死者が赴こうとする世界を指し示している。埼のサは霊魂を指している。サは神に結びつくことばが多い。ミヤザキという地名は、死者を弔い、死者の赴く場所、あるいはその結界を指すことばではなかったか。黒潮により流れ着いた海人族が葬送儀礼を行った場所が「宮崎」の語源であった。

宮崎県北側に君臨する山々に降り注ぐ朝霧

サの神

田植えの行われる五月をサツキと呼び、早乙女・五月女が、早苗を植えることも神事のひとつであった。田の神のことを、四国地方では「サバイ」、中国地方では「サンバイ」、鹿児島県では「サツドン」と呼ぶ。田の神はこの時期に山から降りてくる(サオリ)と考えられた。田植えが終わると、送り出す祭事(サノボリ)が行われる。豊作がもたらされると幸福になる。幸いはサの神に祝ってもらうこと、幸はサの神が千も集まることの意である。栄える、盛る、咲くなども、サの神が関わっている。

田植え後の早苗に薬を背負い動噴で散布している男性と広大な田んぼ

まま子滝

まま子物語はあわれやうらみだけでなく、死と再生という心の成長過程を描く話として見逃せない。まま子いじめの話を人の成長過程ととらえるとき、そこに通過儀礼の習俗を読み取ることができる。文化人類学では成人になるための通過儀礼を次のように説明する。未成年はまず社会的立場から〈分離〉され、非日常的な時空に〈移行〉した後、再び社会に〈再統合〉される。国内で発掘される壊された土偶も五穀豊穣を祈願するものであった。瓜子姫の話は、成熟には犠牲が必要だということを示している。まま子滝の継母を、心理的な母親、あるいは山姥、鬼ととらえていくと、その解釈がいくようにも変化していく。

渓谷の上空から見下ろした激流

隠れ念仏

隠れ念仏ということばには、どこか人を惹きつける響きがある。隠れるという行為に逃げ場と安らぎを感じるからだろうか。そこに弾圧と殉教という歴史が加わると、受難者へのあわれみや強者への反発だけでなく、その熾烈な生き方にうらやましささえ覚えるのである。その過酷な弾圧にもかかわらず、緊張した充足感に満たされていた。極楽浄土という世界観が生きる美しい目標となったことは疑いない。念仏が体制批判や造反の芽に映ったというより、極楽往生という「死の哲学」に対する曖や横目(取り締まり役人)の嫉妬や劣等感が、残虐な拷問や刑の執行を生み出したといえないか。

樹木が生い茂った場所にある殉教之碑と拷問石

来訪の神

宮崎市糸原にある倉岡神社の御神幸の先導役として登場するハレハレは、赤と白の鬼面をつけ、棕櫚皮の蓑を着て、全身をカズラでおおい、長さ二メートルの青竹を引きずりながら、練り歩く。異形の神である。このハレハレは南島諸島から東南アジアに広がる仮装仮面の祭事に似ており、折口信夫の追究したマレビト(来訪神)を彷彿とさせる。村人たちは恐怖とも興味ともつかぬ形で異形の神、来訪の神を待った。その緊迫した空気が来訪神の神髄といってよい。年に一度、来訪の神がこの世に豊かさと危うさをもたらしにやってくる。人びとは、その訪れた時の異質な空気で世界が更新することを直観し、伝承してきたのである。

棕櫚皮の蓑を着て、全身をカズラで覆った鬼、ハレハレ

後ろ戸の神

皇宮屋は宮崎神宮からすると戌亥(西北)の方角に当たる。この方角は畏敬の方位とされ、西北から吹く風はタマカゼ(魂風)と呼ばれていた。古人は特定の方位から吹く風に神の示顕と霊力を意識している。諸塚村の戸下神楽の「山守」は、笠をかぶり、山葛を袈裟懸けにつけ、宝物の杖を携えて神楽宿に登場する。この杖は「御榊柴」とも呼ばれ、宇宙を体現する宇宙樹であると考えられている。屋敷の戌亥の位置が重要と考えられるのは、屋敷の背戸になる西北から山の神が宇宙樹を携えてやってくる方角だからである。宮崎神宮の戌亥の方角に、偶然にもこの皇宮屋が位置している。そのことに気づいている人は少ない。

斎場を御幣で囲った空間

盲目の神

景清伝説は、口承だけでなく、軍記物語、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎などにも取り上げられ、その内容は多彩である。これが民衆の間に広まっていく背景には、一目小僧や人柱、蛇神信仰などにつながる盲目の神への畏敬があった。景清伝説は、古代日向の地が光と闇を貫く神を生み出す絶好の場所であったことを暗示する。日を貴しとし、日を讃える心情が、神話に登場する「日向の儀礼」を設定したのではないか。それが日に向かい、朝日を直視する儀礼であったとすれば、それを執行できたのは盲の巫覡以外にあり得ない。この日向の儀礼こそ、盲目の神を大量に産み出する母胎であった。闇と同時に光さえも透視する霊力がかつてこの地に満ちていた。

霧島東神社に聳え立つ夫婦杉

夜神楽

夜神楽はその舞台装置、演目、登場する神々、舞い方、楽器の響き、唱教などに、さまざまな歴史が堆積してくる。身体に眠っていた古代が目覚め、現代によみがえるような錯覚にとらわれる。太陽の復活という宇宙の波動、そこに万物の再生を賭けている。闇と光、夜と朝、冬と春、死と再生、その交差するところで夜神楽は続けられてきた。巡る季節のなかで植物は花を咲かせ、実をつけ、枯れていく。人の営みも、大海原の潮の流れも、銀河系の星の回転も、それらすべてはつながっているととらえていた。人の魂が太陽とともに復活する壮大なドラマである。

夜明けの三本シメ

串間の火祭り

山伏や法印、別当と呼ばれる修験者たちは、衆生救済のために、祈祷、祈願、鎮魂儀礼を行った。火を操りながら、捨身行や即身成仏に身を投じる姿に、人々は神の顕現を重ねたかもしれない。死者や神を数える単位は「柱」である。伊勢神宮の心御柱は、内宮及び外宮の正殿にある聖柱であり、その基礎に忌穴を掘り、守護神や祭物、供物などが納められる。その守護神のひとつが龍神である。本覚(衆生の悟り)とは「矛盾的統一体として自己を止揚する」(山本ひろ子)ことにあった。衆生自ら抱える煩悩や罪業を大蛇に見立て、成仏のためにその大蛇は焼かれる必要があった。煩悩業苦の焼尽、そこにこの柱松火祭りの核心があった。

洞のある巨木

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