「そういえば『遠野物語』には無数の死がそっけなく語られている、民俗学はその発祥からして屍臭の漂う学問であった、死と共同体をぬきにして、伝承を語ることはできない」(三島由紀夫)
「死と共同体」を基底に据えた伝承が、その後どれほどつくり変えられ、語り継がれてきただろうか。むしろ三島の嘆きの方が現在まで引き継がれているようでならない。
三島が題材にあげた柳田國男の『遠野物語』は日本民俗学の古典といわれている。明治43(1910)年に出版されたこの書は、遠野の人佐々木喜善という人物からの聞書という体裁をとっている。
全体は百十九話から成っており、地勢の紹介、伝承、世間話や噂話、習俗や年中行事、そして昔話と鹿踊りの詞章などからまとめられている。
そこには、山男や山女の話、山神・家神・里神などの民俗神、山に棲む獣たちの恐怖話に混じって、嫁姑の仲の悪さから母親を殺した息子の話、狼との相撃ちで死んだ男の話、姥棄て地が居住地のすぐ近くにある話など、現実の死も数多く語られている。
死後の世界からの往来が頻繁にある話や発狂して山に入った女の話、神隠し、魂の行方やまぼろし、家の盛衰といった人間の生活や幻想、死後の世界なども数多く語られている。
東北の寒村では明治初期まで飢饉や貧困が日常と隣り合わせであったろうし、自然の脅威と同時に人の死もまた身近であったことは想像に難くない。
柳田自身も佐々木喜善の話に戦慄を覚え、遠野郷に住む人々の精神のありように、自らの内部から呼応し、共鳴するものを感じていたのだろう。
だからこそ「かかる話を聞きかかる所を見てきて後これを人に語りたがらざる者果たしてありや」と吐露するのである。
柳田自身は「自分もまた一字一句をも加減せず感じたるまゝを書きたり」と序文で述べてはいるが、その簡明で洗練された文体と内容はまさに柳田の感性が豊かに息づいているといえる。青年時代当代一流の叙情詩人として文壇に登場していたことを思えば、そのことは不思議ではない。
むしろ彼の詩的直感やリリシズムに民俗事象が掬いとられたといっても過言ではない。
民俗学が三島の言うように「屍臭の漂う学問」であるかどうかはわからないが、もし詩が人間および生活の再発見を求めるなら、この学問それ自体も極めて詩的要素を持っていると言えないだろうか。
『哀調の旋律』所収